アメリカ・フロリダ州タンパの権利擁護支援者ー「アドボケイター」のみなさんの姿を思い浮かべました。


 事前研修では認知していなかった「アドボケイター」と称する 権利擁護者=支援スタッフのみずみずしく障害者と接している姿に接することができたのは衝撃的でした。
 大規模施設からの地域移行支援プログラム、精神病院を地域支援センタ―に転換しての地域居住支援システムは、日本では遅々として進まず、多くの重度障害者は依然として大規模施設と精神病院に取り残されてきている。そして、津久井やまゆり園事件が起きた。改めて、日野市の新障害者6ゕ年プランを策定するにあたっての古くて新しい「脱施設」「地域移行」そして、共生社会への実践的アプローチを再考するときだと痛感します。
30年も前の私の「短期海外派遣研修」の報告書の一部を再掲します。長文です。
『フロリダ州における障害者の脱施設と自立援助プログラム』(11)
 筆者は、東京都福祉局と衛生局が主催した「1986年度海外派遣研修」に参加する機会を得た。研修期間は、1986年11月15日から同月29日までの15日間で、カナダのモントリオール、アメリカのフィラデイルフィアとフロリダの3都市であった。筆者は表記のテーマで研修参加し、研修報告を行っている。派遣研修の全体のテーマとして、障害者施設からの「脱施設」の進展している北米において、深刻化しているといわれている「児童虐待」「障害者の人権侵害」の実態とそれへの対応と地域自立移行支援プログラムが、福祉現場でどう行われているかを調査・研究した。    ________________________________________
 筆者は、フロリダ州のタンパ市の2つの施設の訪問調査を行った。
1)「J・クリフォード.マクロナルドセンター」のコミュニテイ・ケア(以下、筆者起草のレポートより一部抜粋)
 「マクロナルドセンター」は、フロリダ州で最初の脱巨大施設プログラムによるコミュニテイケアを実施している施設で、主に発達障害者を支援対象としていた。当時既にアメリカでは障害者概念の見直しが進み、精神遅滞・肢体不自由・自閉症・てんかんも含む非分類の受け入れがなされていた。利用者約300人の内、通所者が約200人、居住者が寮、グループホーム、自立生活アパートに約100人ということであった。このセンターは、障害をもった人を如何にして「社会で生産的な市民に育てるか」を目標にしていた。そのためのプログラムとして、まず職業前教育が行われていた。それは、ライフスキル(生活技術)トレーニングと呼ばれ、ヒルスボー・カウンティ(郡)の公立学校の教師の協力も受けていた。主な内容は、①基礎知識②身辺処理③人間関係④話し方⑤聞き方⑥余暇の過ごし方等9項目が設定されていた。さらに、基礎的な生活技術が必要な重度の人のための居住プログラムが行われていた。E・T・T(教育・訓練・治療》プログラムと呼ばれ、グループホームに居住し、簡易作業を行いながら夕方や週末を利用して、21歳以上、IQ39以下(知的重度)の人を主な対象とされていた。この人たちは、シェルタード・ワークショップ(援護付き就労支援事業所)で働けることが目標とされている。
 主要事業所の「サートマ・シェルタードワークショップ」を視察した。53エーカー(約21438㎡・約65,000坪)の広大なキャンパスの中心に位置し、体育館を思わせる建物である。
作業所の奥から作業種目が難易度順に配置され,楽しげに小グループで作業に取り組んでいた。作業種目は実に多彩で、クリスマスのかざりやリボンから店員用のエプロン、銀行用のカバン、飛行場の安全旗、スケジュール用のカレンダーを製造し、タンパ市を中心とする企業や官公庁からの大口受注を受けていた。 また、現地視察はできなかったが、プラント市に24エーカーの農園とヤ―ヴァ市にスウイフトショップ(中古車店)を持ち訓練、就労の場を設けているとの事だった。こうした場をステップとして一般就労の促進が図られ、ホテル、レストラン、テニスクラブ等20の受け入れ企業がリストアップされていた。日本の「授産施設」(現在の就労支援施設)との各段の違いが歴然であった。
その第1は、授産種目の多様さと受注に下請けの不安定さがないこと。第2に作業の難易度に大きい幅があり、一人一人に合った作業の提供が確保されていること。第3に通所・入所施設に分断されず利用者のニーズ、状態に応じた居住施設が確保されていること。第4に、ワークショップが施設内に自己完結せず、地域の中に様々な小売店を持つなど、地域に開かれたネットワーク事業拠点のネットワークを創り出していることである。  こうした社会資源の創出することで、非分類のケアと発展性が可能となっていた。
2)『ノースサイドセンター』の地域居住プログラム  
「ノースサイドセンター」は、精神病患者を対象とする精神衛生地域センターである。このセンタ―の機能のひとつとして、コミュニティサポートセンターが設置されていた。メイン・ストリームの流れを受けて、精神病患者を如何にして病院から地域社会に戻していくのかが課題とされ、自立生活に移行するまでの居住プログラムの実践の場として各居住施設が位置づけられていた。
 そうした意味では、旧来の入所施設ではないが、施設が入所の場から自立援助の場へと転換していく際の援助の方策を示すものとして大いに参考になった。
 このセンターの中心となるのが、アクセスハウスと呼ばれる場である。ここでは、職業的リハビリの
一環としての軽作業を中心としたワークショップやレクレーション・趣味の活動を行う社交クラブ等、様々な社会的活動に取り組むための援助活動が行われていた。特筆すべきは、このアクセスハウスの周辺の一般の住宅地に点在する形で居住施設が配置されていたことである。
 各ケースの自立の成熟度に応じて、居住の形態、援助の内容が大きく4段階に分けられている。
第1段階はグループホームで、一見すると普通の住宅と変わらない外観の建物であり、2人部屋で15人の共同生活である。スーパーバイザーのもとで基礎的な生活技術の習得や生活に対する積極性や受容的態度を高めることが重視され、ポイントシステムと呼ばれる評価方式が用いられていた。
第2段階はスーパーバイズド・アパートメントで、ここも2人部屋で20人単位だが、アパート形式の建物であった。この段階では、仲間同士の助け合いや日々の問題の解決を互いに図ることへの援助に重点が置かれていて、「ピアマネージメント・グループ」と呼ばれていた。
第3段階はアドバンスド・スーパーバイズド・アパートメントで、ここから個室生活となる。16人の共同アパートであるが、敷地内に集会室が設置されていて、コミュニテイ・ミーテイングへの参加やソーシャルプロググラムの活動等の参加が求められる。
第4段階はサテライト・アパートメントで、スーパーバイザーやアドボケ―タ―などの援助は最小限となり、個人の自立生活に向けての信頼や自信を深めることが目指されていた。
 
 以上見てきたように、施設・病院から一挙に自立へと飛躍できない人に対して、援助の必要性にじての対応と、本人の力と自信を段階的に回復をしていくことを目指すレベルシステムが基軸となっていた。こうしたプログラムは尾本での精神障害回復者のためでなく、他の障害者に対しても有効である。
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 海外研修後、30年が経過し、3年前からの総合支援法の実施で、グループホームのサテライトの設置が可能になり、やまぼうしでも一室のサテライトで過ごす人が生まれている。しかし、全国的にもサテライトの活用は、まだまだレアケースで、逆に「グループホームのミニ施設化」が懸念される状況が生じている。日本のサテライト移行を促進するためには、第2段階、第3段階のプログラムの導入が不可欠であるといえる。

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